情報を疑う。主観的に客観的に

真実の居場所は・・・

対象者不在の場面で、さも知ったように対象者のことを語る人になっていないだろうか。誰かの言葉を間に受けていないだろうか?

ひろしです。本田ひろしです。佐世保市からお届けします。

生きていると、【自分が知らない本田ひろし】や【真偽が定かでない話】が世間で独り歩きすることがある。特に議員になるとなおさら。色々な人との関係性や立場的な部分で、肯定も否定も公言することが難しい場合もあるので、めちゃくちゃ困る。直接、本田に聞いてくれたらどんなに楽だろうか、と思うこともしばしば。

けれども、冒頭のような主体不在の話の中心に自分がいることは、私自身にも覚えがあり、大いに反省、気をつけなければと改めて自戒。ある対象にフォーカスしている時は、主観的な自分を客観的かつ冷静に、物事を見つめる自分を置かなければと。論破から何が生まれようか。まさに幽体離脱的立ち位置が必須。

コロナワクチン、マスク、マスコミ報道など、誰がどう真実と証明出来るのか、そもそもその情報を裏付ける証拠は真実なのか?政治に至っては、各政党の主張の真偽は?など。主体不在時の場面や、世論を二分する話題には、決して熱を帯びることなく、ゆるりふわりと風を送るような存在でありたい。もちろん、自分の揺るがない信念は、常在戦場、心の奥に常に準備をしていることは大前提。

そんなことを呟く週末。